Memories of Japan - 日本の思い出 -

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NEW Dec,12,2004

日本遠征の思い出(1)Memories of Japan Part1

日本のプロレスファンの皆さんへ

 日本を訪れた中で多くの思い出がありますが、その中でも初めに感動したのが相撲でした。大観衆の相撲パレス(蔵前国技館)を覚えてい ます。相撲ファンの観戦マナーの良さ、こんな行儀のよいファン達がいることはアメリカでは考えられませんでした。そして相撲における技の多さ、パワーだけではないテクニック・・・・驚くことばかりでした。 ビックリしたのは多くの人がいるのにも関わらず道路は綺麗に清掃され、店も同様に綺麗・清潔であり、人々は礼儀正しい、それらはストレスを感じることなくを気持ちよくこれら日本遠征を楽しませてくれたのです。また,日本国内色々は場所を訪れることが出来ました。皇居、東京ドーム、奈良、富士山、札幌雪祭り、広島、活火山である鹿児島、そして有名な新幹線も何回も乗りました。初来日時の羽田空港、それから成田・・・・歴史教師だった私にとっては、何もかも興味深く、日本文化・歴史に触れながら滞在を楽しんだのでした。

 もちろん、来日目的は試合をすることでしたが、幸運にも日本でも世界中のトップレベルのレスラーと試合をすることができ、皆さんの支持もお陰でいくつかのベストマッチが生まれました。そして20回以上も日本を訪れることができたのでした。私自身、過去米国でシングル、タッグチャンピオンにもなったし、日本ではコマーシャルにも出演しました。しかし最も大事なことは、私自身、日本のプロレスファンから私の試合について評価をしてもらい更に受け入れられたことです。

日本には多くの友人が今でもいます。彼らはプロレス関係者、ファンの人達とそれぞれです。これらの友好関係はこれからも続いていきますし、いつかまた、日本を訪れる機会があると思います。もしそうでなくても多くの思い出と共に私の人生は続きます。
 私は、日本という素晴らしい国に何回も訪れる機会に恵まれ、そして皆さん出会うことができたことを本当に嬉しくと思うと同時に本当に幸せな男だとと思っています。そしてこのWEBを通じ、皆さんからのメッセージを楽しみにしています。


マスクドスーパースター / Sincerely, Superstar
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■我が友"アンドレ" (April 15,2005)

ファンの皆さん、チャリティ支援と多くのメッセージありがとう。いつも皆さんからの質問やメッセージを楽しみにしているんです。今回は昨年から質問が一番多かったアンドレについて少し話をしたいと思います。アンドレとはスーパースターとしてデビュー間もない頃出会い,リスペクトできる良き友人でした。彼は私の娘(Heatherさん)のGod Father(名付け親)。彼は本当に娘達を可愛がってくれたのです。アンドレは白黒はっきりした男であり嫌いな物は嫌い、好きな物は好き。そんな感じです。日本遠征時、アンドレは日本人嫌いということが報道されていましたが、これはアンドレ自身の芝居であり彼は私と同様日本を愛していたことをここで補足しておきます。彼はああ見えても非常に器用でクレバー、物事に対し理解が非常に早い。しかし、いつも表情を変えないので廻りは気づかないと言った感じでしょうか。また、多くのレスラーや関係者は良く彼を利用していました。特に金銭面では食事に誘いご馳走してもらう。そんな姿を良く見かけたし彼も嫌な顔をせずにみんなにご馳走していたのです。そんな彼ですが、多分彼自身、人生がそんなに長くない事を知っていたかもしれません。BIOで少し話したとおり私がWWFへ行ったのもアンドレとの友情から、そしてマシーン軍団もアンドレのアイディア。レスラー人生の中で彼から受けた影響は非常に大きかった訳です。そして、私は今でも彼を友人として持てた事を誇りに思っています。東京ドームでのアンドレ戦は日本で最後のサーキットでした。皮肉にも馬場との初対決。そしては私は既にスーパースターでなかったこと・・・。また日本で試合をしようという約束は叶いませんでした・・・今日、多くの友人が早くしてこの世を去って本当に寂しく思います。アンドレ、マードック・・・彼らのとの日本サーキットは今でも良き思い出としてそして私の人生の一部として今でもしっかりと心の片隅で彼らは生きているのです。もしアンドレが生きていたら本当の意味のレジェンドとしてファンを喜ばせていることでしょう。

マスクドスーパースター / Sincerely, Superstar

■アントニオ猪木 

猪木・・私は彼をレスラーとしてリスペクトしている。彼のとの試合はいつもエキサイティングでありハードだったことを思い出す。特にボリスとの遠征は忘れられない(注:葉巻事件の遠征)彼は非常に優れたレスラーだったし、政治家、ビジネスマン、プロモーター、インターテイメントの世界でも成功してのではないか。私が新日本のリングに上がっていた時代、新日本代表として常に多くのプレッシャーを背負っていたことは事実だと思う。彼は日本のレスリングスピリットを忠実に表現出来たレスラーでもある。日本遠征中、彼とので多くのダメージを負った。いかにハードでエキサイティングな試合だったか。普通なら休養が必要だったかもしれないほどハードな試合を繰り広けたが新日本は常に多くのチャンスを与えてくれた為、ファンのために必死で戦ったこと・・・あの時代が非常に懐かしい。何度も言うが彼は知的で戦術的なレスラーだった。パワーというより気づいたら負けていた・・そんな感じだろう。時々猪木との試合を思い出すが、彼との試合をエンジョイできたのは事実。そして彼との試合で多くの成功を収めファンからも支持してもらったことに誇りに思う。猪木は私のことをリスペクトしているかな?(笑)彼、そして新日本については良い事ばかりであり、それ以外に言うは特に無い。彼は元気か?(笑)”

最後にファンの皆さんへ;私のチャリティ活動に対する皆さんの支援、本当に感謝します。この活動については近く皆さんに報告する予定ですし、これらかもファンの要望を叶えたいと思います。先日の列車事故のニュースを聞いて心を痛めていますがファンの皆さんが被害に遭わなかったことを節に祈っていると同時に遺族に方々へご冥福をお祈りします。

マスクド・スーパースター


■G馬場と日米レスリングサミット 

馬場との思い出?というか全日本についての質問が昔から多い。皆さんからの質問も多いので少し馬場&全日本について語ってみたい。皆も知っているとおり東京ドーム「日米レスリングサミット」で過去一度だけG馬場とファイトをしたことがある。しかしその時私は別のキャラクターでありスーパースターとしてのファイトでななかったこともご存知だと思うし、個人的にも少し残念に感じる。何故?アックスとスーパースターは全く別のキャラクターであり、レスリングという意味ではマスクド・スーパースターだと思っている。彼のことは多くのレスラー達を通じて聞いており、評判も良く非常に信頼の出来るプロモーターだと。更に正直で彼の言葉ほど信頼できるものはないと。今だから言えるが実際、私自身も全日本から誘われたこともある。しかし、最終的に新日本に留まる決意をした。当時から新日本とは非常に良い関係にあり特に移籍する理由は見つからなかったことが最大の理由。多くのオファーとチャンスをくれたことに今でも感謝している。当時全日本と新日本が対立していることももちろん知っていたが馬場と猪木が個人的にどうかは知らない。私の友人の多くは馬場のビジネスの関わっていたし、彼はブッチャー、マードック、スタン、ブルーザー(ブロディー)他からリスペクトされていた。更に馬場が本当の意味でアメリカのレスラーを裏切ることなくケアしてくれるプロモーターとして知られていたし、彼を知らないレスラーはいないと思う。多分、もし私は最初に全日本に行っていたら最後まで全日本に留まっていただろう。とにかく彼については悪い事は聞いたことはないしそれほど信頼できる人間だったのだろう。とにかく多くのアメリカンレスラーから本当の意味でリスペクトされていたのは事実だと思う。東京ドームでの試合?あれもアンドレとの関係で試合をしたもので試合自体はあまり成功したとは思わない。でも日本のファンはアンドレと馬場のタッグを見ることが出来て最高だっただろう。次回の話?マードックとのタッグについての質問が多いので次回はマードックについて少し話したいと思う。

スーパースター

■WWF 日米レスリング・サミット(WWF,全日本プロレス,新日本プロレス)・全試合結果
1990年 4月13日  観衆53,742人

11試合.スペシャルタッグマッチ・60分1本勝負
  [デモリッション]×スマッシュ&アックス
  (6分39秒・体固め)
  ○アンドレ・ザ・ジャアイアント&ジャイアント馬場 /   ※16文キックからエルボー・ドロップの連携でフォール

『4月13日には東京ドームで、全日本、新日本、WWF3団体共催の『日米レスリング・サミット』を開催した。WWFは前年から日本進出を計画しており、両団体に協力を要請して来たのだが、私は坂口と協議の結果、興行の主導権は全日本プロレスが握ることにした。WWFが単独で侵攻するのは無理だということを思い知らせてやりたかったからだ。WWFビンス・マクマホン・ジュニア代表がリング上で挨拶した時、客席からブーイングが起こり、彼も日本のファンにあまり歓迎されていないことはわかったようだった。

 このサミットで初めてアンドレ・ザ・ジャイアントとコンビを組み、ザ・デモリッションに快勝した。アンドレとは、日本で同じリングに上がるのは初めてで、私より身長の高いレスラーと組むのも初めてだったが、気持よく戦え、アンドレも、そしてファンも喜んでくれた。

聞けば、アンドレとWWFの契約は切れているという。私が、「それなら全日本プロレスに来ないか」
と誘うと、アンドレは、「ババと組むのは楽しい。いま決まっているスケジュールを消化したら、ぜひ呼んでくれ」
 と快諾してくれた。』

G馬場著 「王道十六文(完全版)」第十六章 激動!!平成の全日本 Part 1より。

■ディック マードック (July,31,2005)

 よくファンからマードックとのタッグについて聞かれるので少し彼との思い出について話してみたいと思う。元々彼は馬場のプロモーションにいたがアメリカにおいては良く同じサーキットをしたこともあり違和感無くタッグを組むことができた。日本での彼との思い出は特別であり、年末のタッグリーグを含め日本ツアーをエンジョイした。丁度年末はアンドレも同じツアーに参加していたこともあり試合後は常に3人でディナーを共にした仲だった。

 マードック、ディックは非常に良き友人でありナイスガイであった。とにかく愉快な男で一緒にても飽きることはない。彼はアンドレと同じ好き嫌いがはっきりしているので友人としては付き合い易かった。繰り返すが彼との日本遠征は本当エンジョイできた。もともとはNY,,ミッドアトランティック、ミッドサウスでも共にした仲であり、多くのナイスマッチをすることが出来た。オフには地下鉄を使って何度も上野動物園に行ったことは今となっては懐かしい思い出となっている。

 特に凄いのは彼の能力。彼自体、一見、アスリートには見えないかもしれないが、皆も知っているとおりナチュラルな能力とパワーを備えた最高のレスラーだった。彼はジムに行ってトレーニングするも嫌いであり、一緒にトレーニングをしたことも無いがある日お互いにウエイトリフティングをした時、彼は不思議と軽くクリアする。誰もがWHY???と思っていたことだろう。また、フットボール・ファンで、特にカレッジボールには夢中で日本ではリアルタイムに試合が見れない反面彼は会話そっちのけでフットボールの結果を気にしていた。

 彼との多くの思いでは試合はもちろんこと、やっぱり夜のことが多い。我々が日本にいた時、アンドレ、マードックと飲みに行くことが多かった。試合が終わり、ホテルに帰ってシャワーを浴びると彼は既にロビーにいる。そして開口一番 『遅い!』と(笑)。ビールが待ちきれなかったようだ。そして食事を楽しんでいるとマードックがアンドレに飲みレースを仕掛けることがしばしばあった。結果はお分りだろう。いくら酒が強くてもアンドレに勝てる奴はこの世にいない。そして翌日もその次も。寝床?彼はよく朝ホテルのロビーで寝ていた。(笑)そして、最後に彼らはいくら飲んでも試合の質を落とさなかったことを補足しておきたい。いくら飲んでもプロはプロ。それが彼らだった。

 彼らのような優秀なアスリートを失ったこと、そして良き知人として、彼らが既にこの世にいないことが本当に残念でならないし、出来ることならもう一度彼らに会いたい。


マスクドスーパースター / Sincerely, Superstar





スーパースターが語る日本遠征の思い出、そしてライバル&レスラー達!
■日本遠征の思い出(1) ■我が友アンドレ ■アントニオ猪木 ■G馬場と日米レスリングサミット ■ディック マードック 
■ローラン・ボック NEW  ■テリーファンク(次回予定)
■賞金3万ドル&覆面はぎマッチ前に現れたのは?NEW 

 猪木との賞金3万ドル&覆面はぎマッチ前に突如リングに登場したのがローラン・ボック。猪木に握手を求め、その後スーパースターのコーナーへ寄り握手を求めた。しかし、スーパースターはこれを拒否。邪魔とばかりに追い払う姿は実にCOOL!緊迫した試合前に握手するなんて考えられませんがリング上と異なり私生活ではとてもクールなスーパースターことビル氏。少しローラン・ボックについてて聞いてみました。
新日本を去り、彼に関しては様々噂がありましたが今どこでなにをしているのでしょうか。猪木戦には敗れたスーパースターですがまた機会を見てあの試合について聞いてみたいと思います。   管理人
■リビングレジェンド? 次回

W-1に元気な姿を見せてくれたMr.Living Leged , 51代NWA世界ヘビーチャンピオンことテリーファンク。次回はテリーファンクとの接点について聞いてみる予定です。

■ローラン・ボック New Aug,5 ,2005

ーラン・ボック? 私の記憶からほとんど消えていたレスラーだな(笑)。ちょっと思い出してみよう。彼とは何回か新日本ツアーで一緒だったが、あまり話しをした覚えはない。ただ、初対面時の挨拶をする限りでは紳士的な男に感じたし、どのような噂があるが知らないが実際はいい奴じゃないかな。彼はプライベートでもいつも1人だったし、アメリカのレスラーと食事等をしたことはないだろう。あくまでも推測だが多分、あまり日本ツアーをエンジョイしていたとは個人的に思えないのだが・・・。とにかくいつも1人だったしどこかに出掛けていた記憶がある。試合スタイルは定型的なヨーロピアンスタイル。彼は長時間の試合を好まなかった。アメリカンスタイルとは違うね。いいレスラーかって?表現が難しいが、彼は津強かったし、非常に優れたアマチュアレスラーだった。(He was very strong and a very good amateur) 後で知ったが彼はレスリング以外のビジネスが目的で日本に来ていたとは誰も知らなかった。だからいつも一人だったのかもしれない。
何で握手を拒否したか?あの場面で握手する必要もないし他人の試合を邪魔するなっ、当時はそんな気持ちだったような気がする。マスクドスーパースター / Sincerely, Superstar
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ローラン・ボックについては以外とそっけない淡々とした回答。接点があまりないことや彼にはあまり興味がないように感じました(笑)
管理人